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今日の日の夜明け(前後編)

今日(前編)いわく一昨日と11月16日のゲーム

この歌を聴いて涙したのは初めてだ。清尾淳さんの記事を読み出して、ふとメロディ思い浮かんだ。そして歌詞が頭に流れ込む。
記事をひとまず置いて、文明の利器を叩かずにいられなかった。

Weps うち明け話 #253 時代はめぐる、上を向いて

時代 中島みゆき 歌詞情報 - goo 音楽


私はロマンチストで、感傷主義者である。
徳永英明のカバーした夢見るような声が心地良いのだ。
3小節と立たないうちに涙があふれ出た。
遠い昔から耳に馴染んだ名曲の意味を、「大人」になってから知るという経験もまた初めてのことだった。

(未完)


今日(後編)昨日の未来と、明日の過去

私はここ数年「なにやってんだろ……」と思うことがたびたびあって、悔しむ日々を送ったりしていた。調子を崩して以降どれだけ成長したというのか。変わりたいと思い続けて、変われてなんかいないだろう?

しかしどんなに暗いどん底の年にも、いつも部屋のカレンダーでは浦和レッズの選手がボールを蹴っていました。まあめくったりめくらなかったりですけど。ぼさぼさの頭と流行おくれの服を着てそれでもたびたびスタジアムへ通いました。

未来はどうでしょう? ほら、ごらんよ、先が見えないでしょう。お先真っ暗って言うんです。どっちを向いたら良いかもわからないで未だに立ち尽くしている。それでも手帳の12月25日に、赤いペンをとって予定を書き加える。……いやいやデートじゃありませんよ。この歳になってパートナーもいないんですから。

今日の今日までそうやって、浦和レッズと共に生きてきた。「私」を「浦和」に置き換えてみると、そんな言い方もできるかしらと思っていただけるんじゃないでしょうか。過去を振り返り、また、未来を探って暮らしている。

「俺たちの」「俺たちと」「We are」数え切れないくらい延々と何分間も90分を超えても総計すると何日分に値するんだろうか「私たちはあなたのために歌い続けて」きた。俺たちこそが浦和レッズだ。そして私もその一員だ。全てのサポーターの共有する感覚だ。(ある視点において、)クラブを自己と同化させていると言える。

そこをそこに代入すると私イコール浦和レッズという解に至る。

さて冒頭のコラムに戻る。こちらTwitterで夜中にpostしたもの。
清尾さんの文章はある意味において歴史そのものだと思います。語られなければ歴史は消えてしまう。でも、クラブが続く限り、いや仮に数十年の未来に消滅することがあったとしても、浦和のことを誰も覚えてないなんてことは起こり得ない。絶対に。(後略)

だってそうでしょう。私が忘れてしまった一つのゴールを6万人のうちどこかできっと思い出している人がいる。私が出会うより前に浦和を去った選手のレプリカは今日になっても必ず誰かのタンスの中に仕舞ってある。

誰も浦和を忘れない。
私はあの日紙吹雪を巻き上げては浴びた世界で一番嬉しい負け試合を忘れない。あの朝きっと1年で昇格するって夢枕に見たんだと父に語ったその面映さを忘れない。
誰も浦和を忘れない。
浦和の一員である私は確かにそこに在り、例えばあなたとハイタッチを交わしていた。

私はあの場所にいた。それは仮に自身の記憶が薄れたって、浦和の歴史が証明してくれる。
私はここにいる。
私はあの場所へ行きたい。独りで描いた夢物語じゃなくて、「俺たち」の願いだ。
私はずっとこうやって、今の私がそうであるように、浦和レッズと共に生き続けたい。

今日、昨日の未来と、明日の過去。
今日は昨日から見たら明日……という訓示とは言葉の意味がいささか異なる。
未来と過去を抱えて私(たち)は今日を歩んでいる。証明に基づく確固たる「存在の肯定」だ。
己がかつて何者であったかを認識し、己がどこへ進みたいのか知ったのだ。
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